彼らに
「オメデトウ」と
言ってあげたらいいのだろうか
反安保
沖縄奪還
反合理化闘争と
おれたちの闘いは
ベトナム人民の闘いと
同じ意義をもっていたはずだ
署名や
カンパや
議会活動がすべてでなく
職場の
生産点での闘いこそ
真の連帯であったはずだ
安保が自動延長され
沖縄の施政権返還によって
さらにアジアへと拡大され
沖縄の米軍基地からは
B52が北爆に飛び立ち
本土の軍需工場では
ナパーム弾の製造が続いていた
高度経済成長の矛盾が
インフレ・不況となって表われ
臨時工・パートの首切りと
賃金カットを伴なう一時帰休を受け入れ
’75春闘は
賃上げ15%の「ガイドライン」さえ
突破できないでいる
1975年 4月 30日
ベトナム人民は
30年にわたる
抑圧と屈辱の歴史を断ち切り
帝国主義侵略から
みずからを解放した
彼らに
「オメデトウ」と
言ってあげたらいいのだろうか
ホー・チ・ミン市のトンニャット通り
メーデーに集まった市民10万人
その先頭を行く
臨時革命政府の旗
金色の星が
目にまばゆい